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鹿島入団時からずっとお世話になったモトさん(元鹿島MF本山雅志)の引退試合に行ってきた。モトさん世代の人たちがたくさんいるから、邪魔しないようにと気をつけていた。みんなとても楽しそうだった。高校卒業からずっと、モトさんとかあの世代の(小笠原)満男さん、(中田)浩二さん、ソガさん(曽ケ端準)らを見て育ってきた。そういう意味ではあの引退試合はオレにとってはすごいと思うと同時にさみしい感じだった。モトさん本当にサッカー辞めちゃうんだなって、あんなに上手かったのに、みたいな。
高校を出て親と鹿島の選手寮に行き、入寮のあいさつをしてじゃあ荷物を部屋まで運びましょうかとなったタイミングでたまたまモトさんが来た。「あ、こんちわっす」って感じで気さくにあいさつされたのが最初の会話。こっちは親も含めて「あの本山さんだ」と面食らっていたら、モトさんは「あーいいっすよ、やりますよ」ってオレの荷物を運びだした。申し訳ないと思ってオレも慌てて動いた。鹿島になじむのに時間が掛からなかったのは、モトさんたちのおかげ。バリバリ試合に出ている上の人たちのそういう姿を見せられると、それがスタンダードになっちゃうよね。自分が年上の立場になった今、あそこまでできているかといったら、そうでもないけどさ。
加入前に練習参加させてもらったときは、緊張もあったしみんなに置いていかれないようにしようと必死だったから、周りが見えていなかった。入団してすぐ、基礎練習とかパス回しとかやると、レベルの違いを思い知らされた。モトさんやタクさん(元鹿島・仙台MF野沢拓也)ら同じポジションだけしか見てない中でも、的確すぎて「こりゃやべえ」と思った。練習からすごいレベルのプレーを見せつけられて、「ついていけるのかな」という不安が毎日続いていた。世間のドリブラーのイメージとは違い、オレの中でモトさんはパサー。最後のラストパスのクオリティーが人とは違っていて、まねできなかった。一つのゴールに到達するためのクオリティーの違いを出す仕事を常にしてきた人たちへのリスペクトが多分にある。オレの1年目、逆転優勝で「10冠」を達成した2007年のレッズとのアウェー戦がすごく印象に残っている。リーグ最終節の一つ前の試合だった。左サイドバックのイバさん(元鹿島DF新井場徹)が前半で退場しちゃって、モトさんが左サイドバックに入って、守備もこなしながら決勝点につながるパスでチームを勝たせちゃった。こういう人が試合に出られるんだなって思った。だからこのときは別に試合に出られなくてもそれはしょうがないと毎試合思いながら見ていた。
モトさんはチームが苦しいときであろうと、常にポジティブなことしか言わない。オレが試合にちょっと出て全然駄目だったとき、「切り替えて次だ。お前は全然やれているから大丈夫だよ」みないな声を掛けてくれる。自分が落ち込んでいてもモトさんにそう言われることでメンタルを保てていたのはあった。食事にもよく連れていってもらっていた。練習から落ち込んでいたり、ちょっと調子が悪かったりすると、それを感じ取って誘ってくれていた。サッカーの話は全くしない。必要があればオレから聞く。でも、聞いてもモトさんの感覚が分からないんだよ。人と違う、全然違う。結婚してからは家族のこともすごく気にかけてくれて、お世話になりっぱなしだったね。
モトさんは酒飲めないとサッカーって上手くならないんじゃないかと考えさせられるほどお酒が好きだった。そして、誰に対しても気さくで、サポーターはもちろん、そこらへんを歩いているおじさんとかにも話しかけていた。普段から遊び心に満ちあふれているからこそ出てくる発想とかがいっぱいあった。オレはモトさんの世代の先輩たちみんなの影響を強く受けていると思う。あの人たちから学び、追い越すためにずっと鹿島にこだわってやり続けた部分はある。なかなか結果を出せなかったけれど、モトさんたちの背中をずっと見ていたから、これだけ長く現役をやらせてもらっているんだなっていう感じはある。
モトさんに怒られたことは全くない。たいてい「いいね」しか言われてない。「いいね、足太いね」とか。若いとき、試合に出たらボールを触らないとリズムに乗れなかった。特に誰かに相談したこともないのに、モトさんは絶対にオレにパスをくれるようになり、すんなり試合に入っていける感じだった。それはたぶんオレだけじゃなくて周り10人全員に対して気遣いができているってことだよね。そして、モトさんに替わってオレが試合に出始めた。モトさんより上手くなったから、モトさんを超えたからではない。鹿島が世代交代に迫られていて、若手を育てなければならないから出してもらえたのだと思う。モトさんの立場からすれば、ふざけんなよって思う状況じゃん。でも、そういう態度はおくびにも出さず、むしろ「もっとこうした方がいいんじゃないか」とかアドバイスばかりくれて、これまでと同じようにポジティブな掛け声も全力でくれた。ありがたくもあり悔しくもある。ちゃんとポジション争いして勝てなかったという心残りがあるんだよ。モトさんを超えてポジションを奪ったという実感がない、全然ない。逃げ切られちゃった。
鹿島で現役生活を終えるつもりだったオレは、今こうして仙台で選手生活を続けている。自分が引退するときはしれっといなくなろうと思っている。でも、それはベガルタで何か一つ、成し遂げてからだ。J1昇格とか、目に見えて分かる結果っていうのを残さないと、絶対に名前は残らないし、仙台に帰ってきた意味がない。ベガルタに来たとき、ファンやサポーター、自治体の方々も含めてみんなに温かく迎えてもらった。だから何かしらの形で報いなきゃいけないと思っている。
遠藤 康Yasushi Endo
1988年4月7日生まれ。
仙台市出身。
なかのFC(仙台市)から塩釜FC(宮城県塩釜市)を経て2007年鹿島アントラーズに加入。左足のキック精度が高く、卓越したボールキープ力も光る攻撃的MFで、10年以降は主力として3度のJリーグカップ制覇や、16年のJ1リーグと天皇杯優勝などに貢献した。J1通算304試合出場46得点。
2022年、15年プレーした鹿島を離れ、生まれ故郷のベガルタ仙台へ完全移籍した。
U-15、U-16、U-18の各年代で代表経験があり、15〜17年は日本代表候補に選出された。