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Vol.8 スポーツMC/西川大介

  • 2019.09.10

    Vol.8 スポーツMC/西川大介

サッカーのお仕事

今やセレッソ大阪の『名物』の1つともいうべき、スタジアムに流れる耳馴染みのある声。その主は01年からスタジアムDJを務める西川大介さんだ。この18年半、セレッソの様々な喜怒哀楽を声で伝えてきた西川さんに、セレッソとの長く、濃密な時間について話を伺いました。

ーセレッソ大阪のスタジアムDJになられたきっかけを教えてください。

西川 もともとは音楽と映画がすごく好きで、その魅力を伝えたいという思いから現在所属しているセイプロダクション(https://www.say.co.jp/production/)の養成所に通い始めました。その後、2年経ってオーディションに合格して、実際にラジオの仕事を始めたのですが、そこで出会ったセレッソの初代スタジアムDJの久保田さんに「やってみたら?」と声を掛けていただいたことからセレッソのスタジアムDJのオーディションを受けることにしました。そしたらテープ審査に始まって最終的には僕ともう一人、プロのMCの方が最終選考に残ることができたんです。そこで、それぞれが1試合ずつ公式戦でDJをすることになり…僕は01年の1stステージの柏レイソル戦を担当しました。そしたら、終盤まで0-2で負けていたのに、72分を皮切りにわずか3分で真中靖夫選手がハットトリックを決めて逆転勝ちをしたんです。おかげで、選手もサポーターも、僕自身も大盛り上がりで…結果「そのノリがいい!」ということになったらしく、スタジアムDJ就任が決まりました。僕自身、小、中学生のときはサッカーをしていて森島寛晃さん(現株式会社セレッソ大阪代表取締役社長)のファンだったし、ラジオの仕事をしながら「スポーツのMCをしたい」と思い始めていた時期だったので「こんなに嬉しい仕事はない!」と。ただ、その一方で当時はまだスタジアムDJの認知度も低かったため「スタジアムDJって何をすればいいの?」みたいなところもありました。

キンチョースタジアムでは一時期、
FM長居というスタジアムラジオの実況も担当。

ーでは、ご自身のスタジアムDJとしてのスタイルはどんな風に構築していかれたのでしょうか。

西川 以前からヨーロッパのサッカーはテレビで観ていましたが、当時、放送のあったプレミアリーグやリーガエスパニョーラのスタジアムDJって、スタジアムを盛り上げる感じではなかったのであまりピンとこなかったんです。なので、就任から半年はいろんなことが手探りでした。しかも、僕が就任した01年は、2ndステージで開幕7連敗をするなどしてJ2リーグに降格してしまい…。という状況の中で、02年のJ2リーグを戦うにあたってクラブ、サポーターと僕とで、セレッソ独自のスタジアムを作っていこうという話になったんです。そこで、直にサポーターやクラブと話をし「どんな風にしたらスタジアムがもっと盛り上がる?」「声が出しやすくなる?」と議論を重ねて曲や映像を決めたり、流れを考えるようになりました。ちょうど02年はワールドカップイヤーで、どれだけマイナーなネタでもサッカーファンが興味を示してくれる雰囲気があったので、それに乗っかって僕たちも試合中に音楽をかけるなど、いろんな『仕掛け』を試みた記憶があります。

ー以来、セレッソのホームゲームは全て『声』でスタジアムを盛り上げてこられました。

西川 セレッソ大阪のホームゲームはもちろんですが、ルヴァンカップでも決勝に進めば両チームのスタジアムDJも参戦できるので、17年のクラブ史上初の優勝も埼玉スタジアムで声を張り上げることができました。ただ、実はこの18年半で1試合だけ体調不良で声が出なくなってしまい欠席したことがあるんです。確か15年でしたが未だに僕の中で悔やまれる出来事で…でも、それはある意味、喋り手としてのターニングポイントにもなりました。というのも、その試合を機に食生活も見直したし、仕事の頻度も「このくらい喋ったら喉を休ませる」ということを意識するようになったから。そしたら、以前よりさらに声が出るようになりました。

ーいろんな角度から「セレッソ」を見てこられた中で、印象に残っていることや嬉しかったことを教えてください。

西川 先程、少し話題に上ったルヴァンカップ決勝や15年のJ1昇格プレーオフなど、思い出深い試合はいろいろあります。中でもルヴァンカップ決勝は、本当にセレッソに関わる皆さんがタイトルへの思いを注ぎ込んで戦った試合で、僕も、試合前にサポーター200〜300人くらいとハイタッチをし、彼らの魂が注がれた手でマイクを握るなど、いろんな思いを込めて90分を見守った記憶があります。でも、実は僕にとっての一番の喜びって、そういったビッグマッチにまつわることより、意外と身近にあるんです。それは…大好きな選手たちの勝負の場、公式戦で彼らのアナウンスをできること。例えば、公式戦のゴールアナウンスで僕が「清武弘嗣!」と言えば本人も喜んで、サポーターも喜んで、スタジアムが盛り上がるのが、めちゃめちゃ嬉しい。ましてや、勝利後のヒーローインタビューで彼らにマイクを向ける時も、最高に幸せを感じます。

17年には埼玉スタジアムで
ルヴァンカップ初優勝を味わった。

ーインタビューの際に気をつけていらっしゃることはありますか?

西川 ヒーローインタビューって勝った時にするものなので、気持ちとしてはすごく嬉しくて高揚している状態ですが、彼らの思いを正しく伝えるには、ふざけすぎても、かしこまりすぎてもダメなので、その中間の「ちょうどいい感じ」は心がけています。あと僕自身、普段から選手の皆さんとは仲良くさせていただいている分、テレビカメラが回っていないところでは選手をあだ名で呼んだりもしますが、ある時サポーターに言われたんです。「子どもたちにとって選手はヒーロー。西川さんが選手をあだ名で呼んで友だちみたいに話すと、『ヒーロー感』がなくなってしまう。だから公共の場ではしっかりとプロサッカー選手として対応したほうがいい」と。その言葉にすごく納得して、以来選手がヒーローとしていかに子供たちや観に来てくださった方の目に「カッコえぇ〜〜〜!」と映るのかを意識するようになりました。

ラジオ番組にセレッソ大阪の森島寛晃代表
取締役社長がゲスト出演した際の一コマ。

ー16年からは日本代表戦でも時折、スタジアムDJを務められています。そこは目指すところの1つでしたか?

西川 もちろんです! 日本代表の舞台で仕事ができるなんて、とても光栄なことですから。それに、例えば選手名鑑などに名前が載る際、僕も選手の皆さんと同じように仕事のキャリアが文字として残るじゃないですか?「01〜19年 セレッソ大阪スタジアムMC」みたいに。それってすごく誇らしく、幸せなことだなと思った時に、日本代表というサッカーでは国内最高峰の舞台で名を残したいとも思うようになりました。それに今の時代、『スタジアムDJ』という仕事も認知されてきた中で「あのセレッソのDJをやっている西川が日本代表もやってるのか」「そんな道もあるんや」となれば、将来に夢を描く子供たちの刺激になるかもしれない。そんなことを考え始めた時に、長きにわたって日本代表のDJをされている関野浩之さんに声をかけていただいたことがきっかけになってお仕事をさせていただくことになりました。しかも、さっきも言ったように日本代表ってサッカー界の最高峰じゃないですか? それって選手やスタッフの皆さんだけではなく、演出に関われる方、映像の方たちもなんです。実際、その方たちと仕事をしてみたら「まだまだ僕はアカンな」と課題もたくさん見えてきて、今はよりやる気になっています(笑)。

ー例えば、どんな課題ですか?

西川 かなりオタクのレベルですが、例えば「背番号8、柿谷、曜一朗〜!」と名前をコールをする時間を、あと0.3秒縮めたい、とか(笑)。「名字を呼ぶときの抑揚をもう少し抑えて、タメて名前を呼んだ方が締まるよね」とか。日本代表の舞台でスペシャリストの方と仕事をするようになって、その辺はより細かくこだわるようになりました。実際、日本代表戦は放送時間にも関わってくるので、そこに合わせていろんな「尺」を考えなければいけないんです。しかもその中でも自分の「色」は出したい。それがなければ僕がやっている意味がないし、スタッフの皆さんにも『個性』は求められていますしね。ただ、そうは言っても長きにわたって日本代表戦を作り上げてこられた方たちの中に僕がお邪魔すると考えれば、これまでの空気を壊すわけにもいかない。そうやってこれまでの歴史を大事にしながら新しいものを組み入れていく作業はすごく面白いし、その奥深さに触れたことで、セレッソでの仕事にもより拘りを持って臨むようになりました。

ーJクラブのスタジアムには、それぞれスタジアムDJがいらっしゃいます。西川さんのように、オーディションを受けてなられる方が多いのでしょうか。

西川 基本的にオーディションはあると思いますが、方法は様々です。プロの方向けだけのオーディションもあれば、一般公募で募集をかけるクラブもあります。僕がセレッソのオーディションを受けた時も…確か一般公募で、プロとして仕事をしていない方もいらっしゃいました。実際、Jの各クラブで仕事をしているスタジアムDJを見渡しても、そのキャリアは様々で、僕のようなスポーツMCもいれば、芸人さん、ナレータさんもいる。以前は元プロサッカー選手のGKの方がスタジアムMCを務められているケースもありました。かくいう僕も、今でこそスポーツの現場でのお仕事が増えましたが、セイプロダクションの養成所に入る前はクラブDJをやっていたので、養成所内に入ってからもダントツで下手で、完全など素人でした (苦笑)。でも自分なりに努力を続けていたらチャンスがきて、それに飛びついたらオーディションに合格し今に繋がった。人生どこでどうなるかわからないものです (笑)。

FM802『M2 PLANT FRIDAY FOOTBALL
STADIUM」のMCや、
関西テレビ『音エモン」の
ナレーションなどレギュラーも多数。

ー今後、西川さんが目指すところは?

西川 かつて、FCバルセロナには50年くらいスタジアムDJを務められた方がいらっしゃって、お亡くなりになられた時にはクラブを上げて追悼されたそうですが、そこは目指すところの1つです。またスタジアムやイベントにご来場いただいた方が頭の片隅で「西川の喋りが面白かったな」って思ってもらえるのがやりがいで、その思いを形にするためにこの仕事に熱を注いできたからこそ、今後もそこは追求していきたい。また『スタジアムDJ』って間違いなく選手ありき、サポーターありきの『声』ですが、彼らにとっても不可欠な『声』になれたら嬉しいな思っています。と同時に、夢としては、以前に喉を痛めた話をしたように僕もいつまで出来るかわからない仕事だからこそ、若いDJを育てたいという思いもあります。それから…欲張りですいません(笑)。現在募金活動と改修事業を進めている『桜スタジアム』が完成した時には、いつの日かそこでスタジアムの演出もやってみたい。サポーターや選手のみなさんが喜ぶ空間づくりがすごく好きだし、『声』に限らず、イベントの演出やセキュリティ面、あるいは『おもてなし』の部分も含めてスタジアム全体を盛り上げることができたら面白いな、と。他にもユース年代の選手に向けたインタビューへの対応の授業も開催したいです。というのも、サッカー選手ってめちゃめちゃ面白い考え方を持っていても、サッカーだけに情熱を注いできた分、それを伝えるのが上手じゃない選手が多いから。…って考えるとナンボでも夢が出てきますが、その1つ1つを自分らしく形にしていければいいなと思います。

text by Misa Takamura

取材協力/ミズノフットサルプラザ潮芦屋

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