©KASHIMA ANTLERS
J1リーグ最終節を終え、2023シーズンの全日程が終了しました。今シーズンでの引退を発表したスンテ(クォン)のためにも是が非でも勝ちたかっただけに白星で締めくくることができたのは最低限の結果だと思っています。
一方、シーズンということで振り返るなら、VOL.87でも少し触れた通り、今年も無冠に終わり、チームとして悔しい結果に終わったし、個人的にも正直、プロサッカー人生で一番、楽しくない1年でした。その第一の理由は、プロサッカー選手として当たり前の感情だと思いますが、ほとんどの試合に先発で出場できなかったことにあります。J1リーグを振り返っても、7節・柏レイソル戦を最後に一度も先発に戻れることなくシーズンを終えた事実は情けなくもあり、常に胸の中にすっきりしない何かを抱えながらサッカーと向き合うことに繋がってしまいました。
もちろん、その中でも、再びポジションを奪い返すために戦い続けたことに嘘はないし、どんな状況に置かれようとも、常に鹿島のためにという思いでいろんなことに目を配ってきたつもりです。でも、やはりピッチに立たなければ伝えられないこと、体現できないことは間違いなくあります。実際、その都度、思うこと、感じたことはあっても試合に出ていない以上は強く言い切れないというか、言葉を飲み込んだことは何度もありました。そうした自分自身を思い返しても今シーズンの僕は、鹿島の力になれなかったと言わざるを得ません。
今年の1月。僕はクラブや大樹さん(岩政監督)に求めていただき、いろんな野望を持って鹿島に復帰しました。その中で、この1年を通して常に頭から離れなかったのは、復帰に際して吉岡宗重フットボール・ダイレクター(FD)に言っていただいた「新しい鹿島を作るためには、クラブが歴史の中で育んできた『鹿島とは』を体現できる土台が不可欠。その『鹿島とは』を体現できる一人が源だと思っている」という言葉でした。加入した時には新しい鹿島を作るとはどういうことなのか、まだピンときていなかったことも、その言葉の意味を考え続けた1年になった理由かもしれません。
ですが、結論から言って1年が経った今も、何を持って「新しい鹿島」と言えばいいのか、今もわかっていないというのが正直な気持ちです。では、なぜ、そうなってしまったのか。僕なりに考えた中で1つ明確になっていることを言葉にするなら、タイトルを獲れなかったことが理由ではない、ということです。
もちろん、今シーズンも僕たちは間違いなくタイトルを目指して戦ってきたし、タイトルの大きさやそれを獲得する難しさを思えばこそ、獲ることができればそれによって得られたものも間違いなくあったと思います。でも、タイトルさえ獲れればOKだったのかと言われれば、僕はそうではないとも思います。なぜなら、説明が難しいので言葉で伝わるのか不安ですが…大事なのは、クラブとしてどうタイトルに向かっていけたのか。そのためにチームとして何を積み上げて進んできたのか、それがチームにどんな力として備わったのかという過程で、その結果としてタイトルがあるべきだと思うからです。
これは、先日、モトさん(本山雅志)の引退試合『モトフェス』に参加させてもらって、モトさんや野沢(拓也)さんら、天才と呼ばれた人たちの「なんでそのパスが出せるの?」「いつ、そこに人がいるのが見えてたの?」みたいなプレーに触れて、改めて感じたことでもあります。
当時の鹿島には、そんな風に個性が際立つ選手も多かったですが、チームには常に勝つことを必然と思える強さが備わっていました。練習から競い合うバチバチとした雰囲気が当たり前に流れていた中でも互いをリスペクトし合う空気が常にあり、試合になればみんなが勝つために同じ絵を描いて戦っていました。個々が自由に楽しくプレーしているようでいて、常に仲間を助けることを忘れていなかったし、時に自分を封じ込めて、ひたすら相手が嫌がることをやり続けられたのも、勝つことを必然にしていた理由の1つだったのではないかと思います。そして、そうやって積み上げたものが自然と鹿島らしさと呼ばれるものになり、結果が出ない時にも自分たちを見失わずに立ち上がる力になっていました。
それに対して今の鹿島に勝つことを必然だと思えるものはあるのか?正直、これを認めるのは僕自身、悔しいことだし、果たしてそれをはっきり口にしていいのか悩むところですが、勇気を持って言葉に変えるなら、少なからず今シーズンの鹿島にはそれがあるとは思えませんでした。一時はリーグ戦で9戦負けなしという時期を過ごしたにもかかわらず、です。それではやはり1年を通した結果は求められないし、仮にカップ戦などで偶然的にタイトルを獲得できることはできても、リーグ戦のような長丁場の戦いでは結果を得られないはずだし、ましてや毎年継続してタイトルを獲得できるような常勝軍団にはなっていけないんじゃないかとも思います。
じゃあそれを踏まえて自分は何をすべきか。今はまだ頭の中を整理しきれていないですが、まずはこの1年を真摯に受け止めた上で、自分の物足りなさにもしっかり向き合わなければいけないと感じています。また、偉そうなことを言うようですが、クラブ、チームとしても今一度『新しい鹿島』を作るために、何を捨てて、何を積み上げていくのかをしっかり考えるべきじゃないかとも思います。そのことがこの先、本当の意味で『新しい鹿島』を作ることに繋がっていくんじゃないかと思っています。
以前から右目に違和感を感じていて、シーズン終了後に検査をすることになりました。
そのため、どうしても12月10日のソシオフェスタに出席することができなくなってしまいました。ソシオの皆さんと直接触れ合うことができる数少ない機会だったので楽しみにしていたし、今シーズンのお礼も直接伝えたかったのですが本当に申し訳ないです。この場を借りて伝えておきます。
昌子 源Gen Shoji
1992年12月11日生まれ。
兵庫県出身。
11年に米子北高校から鹿島アントラーズに加入。14年には自身初のJ1リーグフル出場を実現するなど主軸選手に成長を遂げ、16年のJ1リーグや天皇杯優勝、18年のAFCチャンピオンズリーグ制覇などに貢献した。
18年12月にトゥールーズFCに完全移籍。すぐさまレギュラーに定着するも2シーズン目はケガに苦しみ長期の戦線離脱に。その状況を踏まえてJリーグへの復帰を決断し、20年から3シーズンはガンバ大阪で、23年は鹿島アントラーズでプレー。24年はFC町田ゼルビアに完全移籍となった。
14年に日本代表に初選出。2018FIFAワールドカップ ロシア出場。