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Vol.7 開幕までのチームづくり

  • 2020.07.09

    Vol.7 開幕までのチームづくり

BRAIN〜ズミの思考〜

今年の関西サッカーリーグは当初、4月12日に開幕し、8チームがホーム&アウェー方式で全14試合を戦って優勝チームを決めるというレギュレーションだった。それを踏まえて、僕は開幕までの準備期間の約10週間を4段階に分けたチームづくりを想定していた。最初の3週間では選手のコンディションの向上と特徴の把握、個々のスキルアップに焦点を当てつつ、練習試合でチームとしての現在地やポテンシャルを測る。次の2〜3週間でチーム戦術を落とし込みながら選手の組み合わせを試す。さらに次の2週間では、戦術プランAで上手くいかなかった時のプランBを落とし込み、チームとしてのオプションを備える。そして最後の2週間でコンディションをもう一段階引き上げて開幕への準備をする、というように、だ。開幕を迎える時点で80~90%くらいの仕上がりに持って行き、2〜3試合を消化した頃に100%に持っていければ、というイメージだった。

だが、新型コロナウイルス感染症の影響で、開幕が8月23日に決まり、レギュレーションも、8チームが1回戦総当たりの7試合で優勝チームを決めることになった。それに合わせてチームづくりのプランも変更せざるをえなくなったが、そこで最初に考えたのは、短期決戦になったことから開幕に100%で臨める準備をするということだ。ただし、以前とは違い、緊急事態宣言が解除された5月末から8月の開幕まで、さらに3週間多い、13週間の準備期間がある。そこでまずは『止める』『蹴る』という、当たり前だがサッカーには最も大事な基礎技術を徹底的に向上させることに力を注いだ。これは、借りていた練習場が使えないとか、フットサルコートでのグループトレーニングからリスタートになったという状況を受けてのことでもある。僕も現役時代は、イメージした通りにボールを『止める』『蹴る』の技術を疎かにしないように意識していたが、自分が思うようにプレーするためにも、チーム、個人としてのプレーの質を高めるためにも不可欠だと考えた。
トレーニングの方法としては、ボールが止まった状態で『止める』『蹴る』と、動きの中で『止める』『蹴る』の2種類。その中で感じたのは、やはり二川孝広、野沢拓也、田中英雄の3選手は基礎技術がとにかく高いということ。それも両足だ。歳を重ね、若い頃より身体の無理が効かなくなってきていたとしても、これだけ長く現役を続けられている理由はそこにあるのだと改めて感じた。また、彼らのような素晴らしいお手本が身近にいることで、他の選手たちもそこに引っ張られ、チームとしても高いレベルのトレーニングができたのは収穫だった。
6月1日からはようやく全体練習を再開し、フルピッチでボールを蹴れる喜びをみんなで共有した。そこから2週間はフィジカルコンディションを戻していく作業と、グループトレーニングではやれていなかった対人プレーのメニューを増やしていき、徐々に試合ができる体に戻していった。そして6月14日には、2ヶ月半ぶりに対外試合を行うことができた。内容としては、まだまだ50~60%くらいの出来だったが、面白いゲームができたし、やりたかったプランBもここで試すことができた。
そして6月下旬には、選手にゲームの感覚とコンディションを取り戻してもらおうと、対外試合3連戦を組んだ。やはり、選手にとって1番楽しく、成長する場になるのは『試合』だからだ。このコラムを書いている今はまだ試合を終えていないため内容については語れないが、全選手にしっかりと出場時間を与え、練習でやってきたことが出せるか、個人個人がアピールできるかを見ていきたいと思っている。
そして7月5日には、ついに枚方陸上競技場で練習試合を行えることも決まった。開幕前に一度はホームスタジアムの雰囲気、芝生やスタンド、ロッカーと言った環境面も確認しておきたいと思っていたが、クラブや枚方市の関係者にも尽力してもらい、それを叶えていただいた。練習試合とはいえホームのピッチに立った時、どんな感情がこみ上げて来るのか、楽しみで仕方がない。それを経て、8月の開幕までの残りの期間では、さらにチームとして技術、戦術、コンディションはもちろん、戦いに挑む気持ちの部分を含め、全てを100%の状態に高めていく。そこに向けてこの先の時間をどうマネジメントしていけるか。今年の結果を左右する大事な期間になりそうだ。

  • 小川 佳純Yoshizumi Ogawa
  • Yoshizumi Ogawa

    1984年8月25日生まれ。
    東京都出身。
    07年に明治大学より名古屋グランパスに加入。
    08年に新監督に就任したドラガン・ストイコビッチにより中盤の右サイドのレギュラーに抜擢され、11得点11アシストを記録。Jリーグベストイレブンと新人王を獲得した。09年には、かつてストイコビッチも背負った背番号『10』を背負い、2010年のリーグ優勝に貢献。17年にはサガン鳥栖に、同年夏にアルビレックス新潟に移籍し、J1通算300試合出場を達成した。
    20年1月に現役引退とFC TIAMO枚方の監督就任を発表し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。

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