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Vol.28 株式会社ゆかサル 代表取締役社長/吉野有香(後編)

  • 2022.03.23

    Vol.28 株式会社ゆかサル 代表取締役社長/吉野有香(後編)

PASSION 彼女たちのフィールド

京都府京丹後市を拠点にWEリーグ入りを目指す『KYOTO TANGO QUEENS』。その運営会社の社長を務めるのが元なでしこリーガーの吉野有香氏だ。見据えるのはトップカテゴリーへの参戦だけではない。日本女子サッカー界の発展と“女子サッカー選手”という職業の価値を向上させることを目標に、自らが描く将来像に向かって歩みを進めている。

―ここからは、現役時代についても振り返っていただけますか?

吉野 現役時代は、とにかくケガばかりでしたね。

―選手として苦労されたのですね。宮城県の常盤木学園高校出身、強豪として有名です。

吉野 女子サッカー部がとても強くて、特に私の在学中には一つ上に熊谷紗希さんがいたりして、最強だったんですよ。思い返すと、最強すぎて全国優勝しかしていない気がするくらい(笑)。全国大会に行っても、十何点も取って圧勝するような感じでした。そのときのレギュラーの選手たちは、ほぼアンダーカテゴリーの代表に入っていたし、熊谷さんと後藤三知さんはそのときからすでにA代表にも呼ばれていました。私はただただ、「この人たち、すごいな……」って思っていましたね(笑)。そんなチームだったので、私はそんなに試合にも出られるわけでもなかったのですが、なでしこリーガーになりたいと思っていて、卒業後は『スペランツァ大阪高槻』という、丸山桂里奈さんや本並健司さんがいたチームに加入することができました。

―スペランツァ大阪高槻ではいかがでしたか?

吉野 なでしこリーグ1部で戦うことはできたのですが、本当にケガばかりだったので、あまり記憶がありません……。思い出すことといえば、なんか“グッズ売りのお姉さん”みたいな感じで、いつもチームのグッズを売っていましたね(笑)。ケガが多くてベンチに入れなかったので、私にできることといえばグッズ売りとかファンサービスくらいだったんです。サポーターの人たちに「買ってよ~」とか言いながら、売店で頑張っていました(笑)。

―プレーできる状態でなくても、チームにおいての活躍の場を見いだしていたのですね。

吉野 そうですね、商売することが楽しかったです。売り上げによって私に特別なボーナスが入るわけではなかったけれどけれど、「こういう関わり方をしたらサポーターの人はまた試合に来てくれるんだ」とか、自分1人で勝手に分析をしていました(笑)。

―逆に試合に出ている他の選手よりも、サポーターにとっては身近に感じる存在だったのでは?

吉野 そうかもしれませんね(笑)。どうやったらサポーターに喜んでもらえるのかを考えながらやっていたので、人気はあったと思います! 試合に出ていないのにね(笑)。

―現在のようにサッカークラブを運営するうえでは、いい経験になったのではないですか?

吉野 そのときはクラブ経営なんて興味はなかったけれど、そこで多くを学ぶことができたと思います。特に、そういったグッズ売りで年上の男性とも関わったりしたことで勉強させてもらった経験が今にすごく生かされています。このスポーツビジネス界ってやっぱり男性が多いので、女性の私としてはうまくやっていかないと相手にしてもらえないから、そこはうまく学んだかなと(笑)。

―現在のどんな場面でそれを実感しますか?

吉野 「キャバ嬢ですか?」って言われることもよくあって (笑)、年上の男性からかわいがられたりもしていると感じます。もちろん男性だけでなく、女性の方にも一緒に食事に連れていってもらったりもしました。スポンサーとして出資してくれる方々の思考というのを選手時代から学ばせてもらったことで、今も「スポンサーの方々はどうすれば喜んでくれるか」を基準にして私なりに接することができています。

―ストイックですね。

吉野 いえいえ、最近は雪がよく降るので、ただの雪かきおばさんです(笑)。

―話は戻りますが、現役を引退することになったのはどんなきっかけだったのでしょうか?

吉野 やはりケガが多かったからか、チームから“戦力外通告”を受けました。私も「それはそうだよな」って納得して、それから一度は「これからどうしよう」って思ったけれど、「もうサッカー選手を辞めよう」って決心した感じです。私のために時間もお金もかけてくれた両親には「辞めてもいい?」って電話で聞いて、「いいよ。あなたの好きにしなさい」って言ってもらい、引退することになりました。

―引退直後はどんな道へ進んだのですか?

吉野 それまで所属していたチームのスポンサー企業で働かせてもらいました。電気工事系の部品などを売るお店の販売員として、レジ打ちをしていましたね。でも、そこは半年で辞めました(笑)。

―なぜ、半年で辞めたのですか?

吉野 仕事って、たぶん頑張れば頑張ったぶんだけ給料として返ってくるから、だったら「頑張ればいいじゃん」っていう考えになると思うんです。でも、それが私には合わなかったんですよね。でも、そんな環境に不満を抱いている自分もカッコ悪いし、「自分で仕事を作ったこともないのに」って思って、起業することにしました。

―独立して、まずはどのような仕事を始めたのですか?

吉野 個人事業主として、サッカースクールを運営したり、メンタルコーチを務めたり、名古屋グランパスの番組MCの仕事をしたりもしました。まずは自分ができそうなことでお金を得ていって感じです。そんな生活が3、4年くらい続きました。

―仕事には困らなかったのですね。

吉野 いえ、そんなことはないですよ。その間、稼げない時期もありました。なので、リスクのないように一度実家にも帰りましたね。親のすねかじりですよ。

―そのときは、どのような心境だったのですか?

吉野 仕事がなくてへこんだりもしたけれど、一方で「お金ってそんなに必要なんだっけ」「お金って何だろう、稼ぎって何だろう」っていつも考えていました。それに、毎日実家にいれば美味しいご飯を食べられるし、お父さんが自営業なので、その仕事を手伝ってお小遣いもらったりもしていました。甘やかされていた生活ですよね(笑)。

―それからどのようにして、サッカースクールの運営など仕事の幅が広がっていったのでしょう?

吉野 私はSNSが好きなので、結果的にSNSが仕事の幅を広げてくれたのかもしれません。そのときはあまり意識はしていなかったけれど、みんなが「ゆかサル(吉野氏の愛称)、こんなことを始めたよ」っていうツイートをしてくれたり、「こんなイベントがすごく楽しかった」ってインスタで発信してくたりしたことで、ある日「ぜひうちにも来てくれませんか?」みたいな仕事依頼のメッセージが来ました。私も相手を疑うこともなく、すぐに「OK!」みたいに返事をして、すべてSNSで仕事を取っていきました。だから、仕事がないときも「どうにかなる」って思っています(笑)。

―確かにインスタなどのSNSを頻繁に更新していますね。着物を着ている写真も素敵です。

吉野 かわいいでしょ?(笑) 京都といえば着物じゃないですか。だから、営業にいくときとか、いろいろなところへ訪問するときはいつも自分で着付けしています。

―着物の着付けもできるんですか?

吉野 そうです。サッカー選手を辞めたときに、それまではスポーツばかりやっていたから日本文化にも触れようと思って、お茶とお華、着付けを習いました。それがすごく今に生かすことができていて。京都で着物を着て訪問すると、相手に喜んでもらえたりもしますね。

―サッカークラブの社長が着物を着てきたら、相手の第一印象はいいですよね。

吉野 そうですよね。だから、試合会場にも着物を着ていきたいと思っています。今は監督とか男性はスーツを着るのが当たり前だと思うけれど、将来的には監督にも着物を着させたいと思っています(笑)。

―なるほど。着物で指揮を執る監督が見られるかもしれないのですね。

吉野 かっこいいですよね。そういうことも早く実現させたいんですよ(笑)。

―発想が豊かですね。他に、現役を引退してから会社の社長になるまでの期間に感じたことや学んだことはありますか?

吉野 女の子たちにサッカーを指導をしていたときは、この子たちが大きくなったときには、日本の女子サッカー界はどうなっているんだろうって、勝手に不安になっていました。この子たちがサッカーをやり続けるのならば、私たちみたいに仕事をしながらサッカーをして、休みのない毎日を送るんだろうなって。そう考えると、なんかかわいそうになってくるんです。だから、この女子サッカー界を変えていかないと、私が子どもたちを育てる意味もないと思ったんですよ。その子たちが大人になっても趣味程度でサッカーを楽しむくらいだったらいいけれど、高みを目指して人生を懸けようとしている子に、私は自信を持って「女子サッカー選手になったほうがいいよ」って言えないなあって。

―そのように考えるのは、やはりご自身も苦労されたからではないでしょうか?

吉野 うーん、そうですね……。それこそサッカー選手を辞めた年は、なんかもう、布団のなかでずっと泣いていました。「サッカーを辞めた吉野有香に何の価値があるんだろう」「サッカーをしていなかったら私じゃない」「私は存在していていいのかな、生きる意味ないな、死んだほうがいいのかな」って、そこまでずっと思っていました。やっぱり、サッカーをやっている子はみんな「サッカーしかない」と思ってしまい、サッカーを辞めると自分自身を肯定することができなくなる。私の場合はうつ病になったりするまで深刻ではなかったけれど、「サッカーを辞めたら価値がない」って思ってしまう子がすごく多くて、実際にうつ病を発症した子も何人も見てきました。「サッカーを辞めたら人生がゼロからのスタートになってしまう」と思いがちになるかもしれませんが、それは絶対に違います。サッカーを継続してきたことがすばらしいのだから、まずはその経験を次のキャリアで生かすことを考えてほしい。本来、そういうことを大人が教えてあげなければいけないはずなんです。

―吉野さんのような人が、後輩たちに道を示すことも必要かもしれませんね。

吉野 私は今、たまたまサッカークラブを作る仕事ができているけれど、サッカーを辞めても道を切り開くことができることをすごく発信したいです。しかも、こんなに好き勝手やれるぞって(笑)。選手のときはどうしてもサッカーのことだけしか考えられないから、少しでもその視野を広げていってもらいたい。そのために、たとえばうちの会社では、選手に運営にも関わってもらったり、一緒にユニフォームを作ってもらったりもしています。「どんな柄にする?」とか考えながら。それがきっかけとなって、そういうアートの分野にちょっとでも興味が湧く子がいたらいいし、他にもいろいろな職種を知ることで、視野が広がっていくと思うので。私もそうでしたからね。だから私は「こうやってお金は稼げるんだよ」って教えていけたらいいです。

―社長として、元サッカー選手として、現在の選手たちを思いやっているのですね。

吉野 なんか、人生に悩んでいる子を見るとすごく声をかけたくなるし、もう面倒を見たくなっちゃいます(笑)。だから、うちのチームには一回サッカーを辞めた経験のある選手が今は多いかな。「大丈夫だよ」「また一緒に頑張ればいいよ」って言ってあげられるし、やっぱり「やってみたい」と思ったら、挑戦してほしいと思うから。そういう子たちって挑戦するのが怖くなってしまうのだろうけれど、私のところだったら「挑戦して、失敗したら帰ればいいよ」って言っていますよ(笑)。

―選手生命の短さなどの問題や悩みを抱えるサッカー選手に寄り添うことが大事なのですね。

吉野 正直、現在のサッカー選手って、“使い捨て”だなって思うこともあります。私はそうならないように、その人の人生を見据えたクラブ設計をコンセプトにして、うちのチームを運営しています。仕事をしながらサッカーをするってなっても、「じゃあ仕事ってどういうことなのか」というのをみんなで語り合って、お互いに成長していかなければいけないって。今の選手たちは、その「仕事って何だろう」という考えにまで至らないことが問題なんです。ただサッカーするために、とりあえず仕事をして、お金を稼いでいる。そんな感覚なのだと思います。だけど、各々がそこに価値を見いだすことができたら、人生はもっと楽しくなるでしょう。だから、すごくもったいないなって思うんですよね。それをダイレクトに伝えても、まだ理解するためのベースがないのもあるかと思いますが、「人生はサッカーだけじゃないよ」っていうことを伝えていきたいです。

―その思いをより多くの選手に届けるために、ますますの努力が必要となりますね。

吉野 自分でいうのもあれなんですけれど、私も組織のトップに立つ人間として、組織をまとめていかなければいけないなかで、やっぱり自分自身も選手の経験があるから、選手の気持ちもわかるし、だけど運営する側の立場として望むこともわかります。そのどちらを優先していくのかというよりも、なるべくその中間の策や、よりいい方法を探っていくことが大切だと思います。去年はそこがうまくいかなくて結構きつかったし、まだ苦戦しているけれど、今年はもっとみんなでのミーティングを増やして、“人としてどうあるべきか”というのを軸に活動していきたいです。

―“雪かき社長”からWEリーグチェアマンへの挑戦は、まだ始まったばかりですね。

吉野 そうなんですよ(笑)。だからこそ、すごくおもしろいんじゃないかなって。それに、私はケガで腐っていったような女子サッカー選手でした。熊谷紗希さんのようにすごい実績を残している選手ではないから、逆にその大逆転ストーリーを描くこともおもしろいでしょう?(笑)

―夢と希望に満ちあふれていますね(笑)。

吉野 私みたいにケガをしたり、あるいはサッカーがあまり上達しなくて、夢を諦めてサッカーを辞めていく子も絶対に多いはずです。だけど、夢を叶えることに一回失敗しても、また挑戦してほしい。やっぱり、そうなるとみんなは夢に挑戦するのが怖くなるだろうけれど、それで諦めるのは違うよって。その子たちにも、サッカーを通して豊かな人生を送ってほしいと思っています。

<プロフィール>
吉野 有香(よしの・ゆか)

1991年愛知県出身。中学時代まで地元の愛知県でサッカーに打ち込み、高校時代は宮城県の常盤木学園高校で『全日本U-18女子サッカー選手権大会』や『全日本高等学校女子サッカー選手権大会』で連覇を果たした。卒業後は当時なでしこリーグ1部のスペランツァFC大阪高槻に加入するも、度重なるケガとも戦い、バニーズ京都SCで2015年に現役引退。その後はサッカースクール運営をはじめ多方面で活躍し、2020年に『株式会社ゆかサル』を設立し、代表取締役社長に就任。関西リーグ2部に所属する『KYOTO TANGO QUEENS』を運営する。

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