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Vol.6 京都サンガF.C.チーフトレーナー/岩城孝次

  • 2019.08.12

    Vol.6 京都サンガF.C.チーフトレーナー/岩城孝次

サッカーのお仕事

Jクラブでのトレーナーの仕事は今年で26年目を数える岩城孝次さん。京都サンガF.C.、セレッソ大阪、ガンバ大阪での経験を通して見てきたJクラブにおける『トレーナー』の役割の変化にも言及しながら、トレーナーとしての信念やプロフェッショナルイズムを明かしてくださいました。

ー現在のお仕事について教えてください。

岩城 16年から京都サンガF.C.でトレーナーをしています。実は、サンガは僕がプロサッカー界での仕事を始めたクラブで、前回は94年から2000年まで在籍していました。その後、01年から03年まではセレッソ大阪で、04年から15年まではガンバ大阪で仕事をし、3年前にサンガに復帰してからはチーフトレーナーを預かっています。

ートレーナーは全部で何人いらっしゃいますか?

岩城 僕以外に中山直人、藤本栄雄、三枝正人の3人です。遠征には僕と藤本が帯同し、中山、三枝には主に長期的なケガを負った選手の管理をしてもらっています。ただ、どのトレーナーがどの選手を見るのかは特に決めていません。トレーナーはそれぞれにスキルやストロングポイントも違いますが、僕たちはあくまで4人のグループとしてチームをサポートしているので、みんなで情報を共有し、何が起きてもスムーズに対応できる体制を敷いています。

京都サンガF.C.のトレーナールーム。

ーかなり早い段階からプロの世界で仕事をされていますが、きっかけを教えてください。

岩城 もともとは僕もサッカー選手で大阪の北陽高校(現・関西大学北陽高校)からガンバの前身である松下電器サッカー部に入ったんです。ですが、高校3年生の時に骨折した右足の脛を、松下での1年目にもう一度、骨折してしまい、復帰に時間を要したことから3年で引退しました。その後、マネージャーをしていた時に、合宿の時だけサポートに来てくださっていた、トレーナーの溝口秀雪さんに出会って…。いろんな話を聞いたり、仕事を間近で見ているうちに「ケガをした時にこういう人がいてくれたら、僕の選手としてのキャリアも違ったかもな」と思うようになり、トレーナーの仕事に興味を持ちました。当時はまだトレーナーの認知度が低かったものの「今後のスポーツ界には溝口さんのような存在が必ず必要になるだろうな」とも感じていました。そこで23歳の時に思い切って会社を辞めて、溝口先生が講師をされていた東京の日本鍼灸理療専門学校に3年間通い、鍼灸、マッサージの資格を取ったんです。年齢もまだ若く、新しいことにチャレンジするには遅くないと思ったことと、生涯を通してスポーツに携わる仕事をしていきたいという考えが芽生えたことが理由でした。

トレーナーは現在4名。「グループとしてチームをサポートしている」そうだ。

ーそこからプロの世界に携わるようになった経緯を教えてください。

岩城 正直、僕が専門学校に通い始めた頃はまだJリーグも発足していなかったので、卒業後は大阪に戻り、今度は柔道整復師の資格を取るために明治東洋医学院専門学校に入ったんです。将来的に、開業を視野に入れればこそ、柔道整復師の資格を取得した方がメリットがあるな、と。そしたら、大阪に戻ろうとしていたタイミングで、松下時代のキャプテンで、松下電器LSC・バンビーナのコーチをされていた山本浩靖さんから「将来、トレーナーをするつもりならバンビーナをみてくれないか」と声をかけていただきました。東京の専門学校に通っていた時に、桐蔭学園サッカー部でトレーナーをしていた経験値を買ってくださったのもあります。それもあって学校に通いながら92年にバンビーナでの仕事を始め、その中で、サンガのフロントスタッフをしていた北陽高校の後輩から声を掛けてもらって、94年からサンガで仕事を始めました。

ープロクラブでトレーナーをするには、3つも資格が必要なのですか?

岩城 サッカー界でのトレーナーを目指すなら…日本スポーツ協会(日本体育協会)のアスレチックトレーナーの資格ではチームのニーズに応えられない部分が出てきますが、かといって、鍼灸、マッサージ、柔道整復師の3つは必要ないと思います。ただ、治療行為ができるライセンスは必要なので、自分のストロングポイントが何かを考えて、どれかを取得すればいいと思います。

ーサンガで仕事を始められた時は、日本のプロサッカー界もいろんなことが手探りで進んでいた時代でした。今とはお仕事の中身も違いましたか。

岩城 正直、当時は今のように『メディカル的なマネージメント』としての体制は整っていなくて、コンディショニングと治療行為を行うだけで…極端に言うと、練習場にケガをした選手の治療をしに行っているというような感覚で仕事をしていました。でも徐々に日本のサッカー界に海外の指導者が入ってくるようになり、サンガも95年にジョゼ・オスカー・ベルナルディさん、98年にハンス・オフトさん、00年にゲルト・エンゲルスさん(現サンガコーチ)が監督に就任されて…という中で、それまでのトレーナー業とはかけ離れた要求をされることが増え、仕事もボリュームアップしていきました。

トレーナールームの横の筋トレルームでは
藤本淳吾選手がリハビリ中でした。

ーそれはプロサッカークラブにおけるトレーナーの役割が変わっていった、と?

岩城 サポートスタッフであることに違いはないですが、仕事の中身がより濃くなったという感覚です。それまではケガをした選手の治療やテーピングを巻くなどの単体のサポートだったのが、選手のケガの状態やリハビリの進行具合、復帰までのプランをドクターとトレーナーが整理して監督や選手に伝え、チームとして共有するというように、複合的なマネージメントの役割を担うようになった。それはおそらくサンガに限らずで…どのクラブも外国籍監督によってメディカルスタッフの役割が明確化され、それに応えようという思いが意識改革に繋がって、今現在のメディカルスタッフの体制があるんじゃないかと思います。

選手の状態はデータ化して共有するため、
時にデスクワークも。

ープロサッカー界でのお仕事も26年目ですが、その中でご自身が大切にされていることを教えてください。

岩城 ケガを負った選手に対して、もちろん現場からは早く戻してほしい、僕たちも早く戻したい、という思いはありますが、まずは「選手にとって一番いい選択は何か」を第一に考えることです。というのもこの仕事をしていてすごく印象に残っているのが、ガンバ時代に中澤聡太選手に言われた言葉で…。彼が練習で太ももに炎症を起こした時に、僕が「いま1週間休めば、炎症は治るから無理をしないでおこう。仮に無理して試合に出て肉離れを起こしてしまったら復帰まで1ヶ月以上かかってしまうよ」と伝えたことがあったんです。そしたら聡太に「僕は1週間休んだらポジションがなくなります。なくなったらずっと出られないかもしれない。ケガをして1ヶ月出られないのと、休んだことで試合に出られないのとなら、無理をしてでも前者を選びます」という返事が返ってきた。結果的にその時は、彼の思いを汲んで全力で治療をし、彼も試合に出場して、大きなケガにも繋がらずに胸をなでおろしたのですが、その辺の判断はこの仕事の一番難しいところだと思っています。聡太の場合も、足の状態が白、黒、グレーで判断するところの黒なら絶対に止めていましたが、グレーだったからこそ、彼自身が納得する方を選びました。もっとも、これは選手の性格にもよると思います。例えば、同じケガでも、痛みに強いA選手が大丈夫だったからといって、不安を抱えたままではいいプレーが出せないB選手には同じ判断はできない。そのあたりの見極めは未だにすごく難しいです。

ー監督によってもケガに対する考え方は違いますか。

岩城 違います。例えば、ケガを抱えている選手が土曜日の試合に出場できるか、という判断も『水曜日の時点で紅白戦に出られないなら起用しない』という監督もいれば『出場できる可能性があるならギリギリまで調整していいよ』という監督もいます。であればこそ、一緒に仕事をする監督の考え方を知り、その監督がケガに対してどんな線引きしているのかはすごく意識しますし、それに基づいた判断を心がけます。ただ僕も最初からこんな風に考えられたわけではなく…少なくとも最初にサンガに在籍していた時代は単に治療を行うことに精一杯でした。ですが、僕自身もいろんな監督や選手と出会い、移籍を経験したことで、見た目のケガだけではなく選手の性格や考え方、胸の内までを意識して治療を行うようになりました。

ートレーナーの仕事を通して印象に残っている出来事、言葉があれば教えてください。

岩城 ガンバ時代に8年間、一緒に仕事をさせていただいた西野朗監督に「復帰まで4週間と診断された選手を4週間で治すのは当然だけど、その4週より早く復帰して再発もさせない、というのがトレーナーとしての妙味でしょ」と言われたのはすごく覚えています。これは何も無理をさせろということではありません。西野監督の言葉を借りれば「再発のリスクを考えながら少しでも早く戻せるようにチャレンジすることがトレーナー陣のスキルアップにもなるし、プロの現場でニーズに応えるということ」だからです。この言葉は今でも心にあるし、常に自分に投げかけながら仕事にあたっています。

ー昨今はトレーナーを目指す人も多いそうですが、岩城さんが考えるトレーナーに必要なスキルを教えてください。

岩城 確かに、最近はトレーナー志望の方がすごく増えて、僕のところにも手紙や履歴書が送られてきます。それらを見ていて気になるのは、華やかな部分ばかりに目を向けている方が多いなということ。もちろん、勝負の世界だからこそ、一喜一憂の日々に刺激を受けるところはたくさんあって、それが仕事への活力になるところもありますが、その裏では選手の皆さんの努力も含め、華やかなことばかりが起きているわけではありません。それを前提でお話しすると、最初に言ったようにプロの世界でトレーナーをしようと思えば、医学的な知識や医療行為ができる資格も必要ですし、競技特性を理解することも大事だと思います。また、自分がどこでトレーナーをしたいのかも明確にした方がいいと思います。例えば、個人のパーソナルトレーナーであれば、自分が見る選手の要求に応じて、それを満たすサポートを心がければいいですが、僕のようにプロクラブでのトレーナーとなればそうはいかない。正直、所属選手全員が納得することはないですが、それでも、できるだけバランスよく、みんなが納得出来ることを選択していかなければいけないし、チームとしてのニーズに応える意識も必要になります。あとはやっぱりこの世界も人脈が大事で…僕も溝口先生を初めとするたくさんの出会いによってこの仕事を続けてくることができたように、誰と出会い、どんな人脈を築けるのかによってチャンスの広がり方は全然、変わってくる。そう考えても常にネットワークを広げながら、アクションを起こせる準備をしておくこともすごく大事だと思います。

ーこのお仕事に対する岩城さんご自身の野望があれば聞かせてください。

岩城 僕にとって思い入れのある古巣に復帰させていただいた中で、来年には新スタジアムが完成予定だと考えても、今はとにかくクラブが目指すJ1昇格のために、自分の力の全てを注ぎたい。かつてはトレーナーと選手という立場で一緒に仕事をしていた仲間が、今はクラブのフロントスタッフやコーチングスタッフになって再び一緒に仕事ができていることに幸せを感じながら、これまで通り「選手にとって一番いい選択とは何か」ということに真摯に向き合って、裏方の一人としてチームを支えていきたいと思っています。

text by Misa Takamura

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