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小川佳純×MFチョ・ヨンチョル(FC TIAMO枚方)<前編>

  • 2020.05.03

    小川佳純×MFチョ・ヨンチョル(FC TIAMO枚方)<前編>

REIBOLAスペシャル対談

昨年限りで現役を引退し、FC TIAMO枚方の監督に就任した小川佳純と、同チームに今年から選手として加入したチョ・ヨンチョル。公私においても仲のいい二人が目指す、このクラブで実現したいこととはー。懐かしい話にも花を咲かせながら、新たなキャリアにおける決意を語り合った。

チョ・ヨンチョル(以下、ヨンチョル) OB選手との対談って…ズミさん、もうOBなんですね(笑)。ついこの間までチームメイトだったのに。
小川佳純(以下、小川) 確かに!
ヨンチョル 絶対に今でもプレーできますよ。去年、お互いにアルビレックス新潟を契約満了になった後、最後に話した時も「話があったら、全然(現役を)やるよ」って言っていましたよね?
小川 本当にそのつもりだったからね。
ヨンチョル だから、年明け、新しいニュースが入ってくるのを待っていたらFCティアモ枚方の監督になるって発表されて、SNSでも報告があって「えっ、引退?! しかも監督?!」ってビックリしました。
小川 17年の途中に新潟に加入した時から、中野幸夫代表取締役社長には「新潟で引退させてください」って冗談で言っていたくらいだったからね。新潟で引退することを考えないでもなかったけど、正直、求めてくれるチームがあるのならまだやりたいという気持ちもあって。ただ、そのタイミングではJ1リーグも、J2リーグの入れ替え戦も終わっていなかったからね。とりあえず、心のどこかで引退も考えつつ、全てのシーズンが終わるまで待とうと思って新潟を離れたの。でも、結果的にティアモをはじめ、地域リーグのチームが興味を持ってくれた一方で、Jクラブからはオファーがなくて。自分の中で引退の文字がちらつき始めた時に、最初は選手としてティアモに誘ってくれていた巻佑樹(FCティアモ枚方ゼネラルマネージャー)から「監督には興味ない? ティアモの監督をやらない?」と言われて、一気にモチベーションが上がったというか。その瞬間に腹が決まったと言っても過言ではないくらい、自分にとっては魅力的な話だった。
ヨンチョル ズミさんは去年の新潟でも選手兼コーチみたいな存在感で、選手に向けて発言することも多かったから、監督に向いているなと思っていました。
小川 本当に?! もともとはそういうタイプでもなかったんだけどね(笑)。でも、名古屋グランパスを離れて、サガン鳥栖に移籍したくらいからチーム内で発言することが増えたかも。それは、年を重ねて考え方やプレースタイルが変わってきたことや、鳥栖ではアンカーをやったり、新潟でも去年はボランチをするようになるなど、ポジションが変わっていった影響もある。あとは一昨年くらいからケガが増えたのも理由かも。それこそ、一昨年はJ2リーグの開幕戦でハムストリングの肉離れをしたのを機に、5〜6回ケガを繰り返したことで「ああ、体も年を取ってきたんだな」と自覚し始めて。去年もボランチをしながら、ヨンチョルがカウンターの度にサイドをガガガっと攻め上がっていく姿を見て「馬力あるな〜。今の俺にはもうできないな」って思ったりもしていたしさ。それもあって体より、頭を使うプレーに変わっていって、ピッチでの口数も多くなった。

小川佳純

ヨンチョル 選手同士で話をする時も、ホワイトボードを使って、ズミさんが「こうしようぜ」って発信してくれることが殆どだったし、選手もみんなズミさんを信頼していた。
小川 当然ながら、監督を無視してということでは決してなかったけどね。チームメイトと戦術的な話をする時も、監督には先に伺いを立てていたたしさ。でもこうして今、監督になってみると「余計なことばっかり言ってくるな」って思われていたかもなって反省してる(笑)。…って話を戻すけど、監督就任が決まってすぐに連絡をくれたよね?
ヨンチョル はい。「本当に監督をやるんですか?」って聞いたら「そうなんだよ」と。それからあれこれ質問して…。
小川 「ティアモは何部のチームですか?」とか、やたらティアモ情報を聞いてくるなって思っていたら最後に「僕を必要としていませんか?」って言ってくれて…。
ヨンチョル そうなんです。新潟を契約満了になった後も、自分の中ではまず、日本でプレーしたいという気持ちが強くて。正直、韓国や海外でのプレーの話もあったんけど、ずっと日本でプレーする道を探っていたんです。でも、アジア枠が撤廃されてから、韓国人選手へのニーズが減りつつある現状もあり、なかなかJクラブからはオファーをもらえず…。それに、近年はどれだけ調子が良くても試合に絡めない時期が結構あった中で、選手は試合に出なければ意味がないという思いが強くなっていましたからね。加えて、年齢が上になるほど自分が「この人についていこう」と思える監督やコーチングスタッフでなければ、選手を続けるのは厳しいなって考えるようになっていたんです。若い時は、我慢してプレーすることも出来たけど、今年で僕も31歳ですからね。できれば、自分が信頼できる監督と一緒に仕事をしたいなと思っていたら今年の1月にズミさんの監督就任のニュースが飛び込んできて。ズミさんの力になりたいと思ったし、GMをしている巻さんのことも知っていたからこそ、二人の新たなチャレンジに僕も参戦したいって思いが自分の中でブワっと溢れました。
小川 その言葉を聞いてすごく嬉しかったし、ヨンチョルが来てくれたら心強いなとも考えたけど、正直、ヨンチョルはまだJリーグで頑張れるんじゃないか、とも思っていた自分もいて。それに、ヨンチョルがこのステージをどのくらい理解しているのかも分からなかったから、とりあえずティアモに関することは一通り説明し、環境とか、所属選手は仕事をしながら選手をしていることなど、知っていることは全部伝えた上で「まだJクラブからのオファーも来るかもしれないし、もう一度よく考えてみて。それでもやりたいと言ってくれるなら、どうなるかはわからないけどクラブには伝えてみるよ」って言ったんだよね。

チョ・ヨンチョル

ヨンチョル そうですね。でもズミさんにいろいろと教えてもらって僕なりに考えてはみたけど、ズミさんや巻さんをはじめ、ティアモのクラブとしての歴史とか考え方を知ったことで逆に「やりたい」という気持ちが強くなったというか。この先の人生を考えても、自分が楽しく、モチベーションを持ってサッカーをできるチームでプレーしたいと思うようになった。家族や奥さんも「ヨンチョルが楽しく仕事をして、試合に出て活躍する姿を期待しているよ」って背中を押してくれましたしね。と言っても、ズミさんがいなかったら、この選択はしなかったと思うけど。
小川 そこからトントンと話が進んで加入が決まり、また同じチームで仕事をしているんだから、人生って不思議だよな。
ヨンチョル そうですね。思えば、ズミさんとの最初の出会いも偶然でしたしね。僕が大宮アルディージャ時代、ある店で偶然一緒になったのは覚えています?
小川 もちろん。僕と佑樹(巻)とトゥーさん(田中マルクス闘莉王)の3人で行った店に、たまたまヨンチョルも来ていて。僕らは個室にいたからそのまま帰ることだって出来たのに、店を出る時にわざわざ挨拶に来てくれたんだよね? 誰か選手と一緒だったんだっけ?
ヨンチョル 選手ではなく、BIGBANGのメンバーと一緒でした。その時はまだ直接的にズミさんとも、巻さんや闘莉王さんとも面識はなかったけど、3人とも有名な選手だから挨拶したいなと思って押しかけました(笑)。そしたら闘莉王さんがその場で「おお、ヨンチョル! 俺、お前のこと、好きやぞ!」って言ってくださって、すごく嬉しかったのを覚えています。
小川 あの時、トゥーさんはめちゃめちゃヨンチョルのことを褒めていたからね。「なんていい青年なんだ。日本人でもわざわざ個室まで挨拶に来るような選手はいないぞ」って。で、その後、当時流行っていたフェイスブックで友達申請をくれたんだけど、その時も、本当に礼儀正しくて好印象でさ。ヨンチョルは日本語がペラペラだからコミュニケーションにも困らなかったし、メッセンジャーでも日本語でやりとして…。
ヨンチョル 平仮名とカタカナはできましたからね。今はもう少し進歩して、簡単な漢字も大丈夫です。
小川 だよね。ヨンチョルとLINEをする時は、難しい漢字は使わないようにしようって思っているのに、ヨンチョルからは普通に漢字の入った文章が送られて来るもん(笑)。言葉はどうやって勉強したの?
ヨンチョル 07年6月に横浜FCに加入した際、一緒に来日してくれた代理人がすごく日本語が上手だったんです。その人と3ヶ月くらい一緒に住んでいた時に教えてもらったのと、あとは独学です。
小川 どのくらいで普通に会話ができるようになったの? 
ヨンチョル 最初の1年で聞き取りは少しできるようになっていました。なので、09年に新潟に移籍する際に自分から「通訳はつけないでほしいです」ってお願いしたんです。通訳がそばにいるとどうしても頼ってしまって覚えないし、自分では来日してから「あと1つ壁を乗り越えたら伸びる気がする」と感じていた中で、通訳を置かないことが壁を乗り越えるきっかけになるかも知れないと考えました。そのことをクラブにも理解してもらって通訳なしで新潟に入り、寮生活を始めたのですが、そこで同じ年の選手5人…川又堅碁(ジェフ千葉)、鈴木大輔(浦和レッズ)、大野和成(湘南ベルマーレ)、木暮郁哉(ソルティーロ・アンコールFC)らと、めちゃめちゃ仲良くなったんです。彼らと毎日のようにいろんな話をしているうちに一気に日本語が上達しました。
小川 それによってプレーも変わっていった?
ヨンチョル そうですね。コミュニケーションがとれるようになると気持ちも落ち着くし、やりたいプレーを表現しやすくなったところはすごくありました。自分がボールを欲しい時に「前」と言えるだけでも全然、楽にプレーできるし、欲しい時にもらえるようになれば自分を出せるようにもなりますしね。
小川 新潟のあと大宮に移籍して、カタールや韓国でもプレーして…結果的に日本では何年、プレーしているんだっけ?
ヨンチョル 横浜で1年半、新潟で3年、大宮で2年半、去年の新潟で1年だから…今年で10シーズン目です。
小川 それなら、日本のファンも多くなるよね。去年、新潟に戻ってきた時もすごく歓迎されていたしさ。俺もヨンチョルとまさか同じチームになれるとは思っていなかったから、加入してくれて嬉しかったし、一緒にプレーできるのも楽しみだった。
ヨンチョル それは僕も同じです。ズミさんと言えば、名古屋の10番のイメージが強くて…しかも、めちゃめちゃ強かった時代の10番で、いつもちょこまか気を利かせていて、とにかく巧い選手だったから同じピッチに立つのが楽しみでした。
小川 僕の記憶に残るヨンチョルは、やっぱり新潟や大宮でプレーしていた時代かな。左サイドからドリブルで突破して、クロスとかシュートとか…その辺は今も変わっていないけど。
ヨンチョル ズミさんもイメージしていた通りで、相変わらず巧かったし、去年はボランチをしていたことから、後ろからもすごく指示を出してくれて心強かったです。しかも、その言葉にもすごく説得力があったから、若手もズミさんの言うことはちゃんと聞いていましたしね。というのもプロの世界になると特に、若手って先輩なら誰のいうことでも聞くという感じではなくなると思うんです。その場では聞いているフリをしていても若手同士で集まると「あの人に言われても…」みたいな話になることも多々ある(笑)。でもズミさんの言葉にはみんなすごく耳を傾けていました。その違いって、やっぱりピッチでの姿によると思うんです。ズミさんみたいに、プレーや行動で示してくれる選手の言葉なら響くけど、そうじゃない選手の言葉っていくら先輩でも流れていってしまう。そんなズミさんを見ていて、僕も言葉に説得力のある選手になりたいって思うんですけど、僕の場合は性格的にあまり強く言えないし、言ったとしても優しくしか言えないから、あまり説得力がない(笑)。でも、さっきの話だと、ズミさんも名古屋では言葉での発信力のあるタイプではなかったんですよね?
小川 全然。それこそ当時は、すごい先輩選手がたくさんいたからね。たまたま自分が10番をもらって、試合にも出ていたけど、プレー面でも自分がチームの中心だなんて思ったこともなかったし、どちらかというと、いつも「先輩の足を引っ張らないように」ってことばかり考えてプレーしていた。もともとのプレースタイル的に周りに助けられるタイプだという自覚もあったしね。
ヨンチョル そこからどうやってキャプテンタイプになったんですか?
小川 いやいや、新潟では18年の途中から…キャプテンをしていたイソ(磯村良太)がVファーレンに長崎に移籍したことでキャプテンを預かったけど、自分では、やっぱり副キャプテンキャラだよな、って思っていたよ(笑)。
ヨンチョル 副キャプテンキャラっていうのは?
小川 年上の選手と、年下の選手を間でつなぐタイプみたいな。実際、名古屋時代は、自分のことを『中間管理職』だと思っていたしさ(笑)。特に名古屋での最後の3〜4年は、楢崎正剛さん、闘莉王さん、玉田圭司さん(V・ファーレン長崎)、中村直志さんら30歳を過ぎた選手に対して、若い選手はどうしても萎縮しがちというか…。なかなか思うことを言えない若手も多かったんだけど、僕は年上にもガンガンいけるタイプだったし、年下の選手と戯れるのも好きという性格だったから。結果的にベテランと若い選手の間にうまく入り込んで繋ぐ役になっていた。
ヨンチョル 確かにズミさんは年下の選手とも付き合うのが上手いからすごく話しやすかったです。僕も基本的に先輩選手に絡んでいくのが好きだからかもしれないけど、だからズミさんともすぐに仲良くなれたんだと思います。ただ1つカミングアウトすると…つい最近まで、ズミさんと自分は3歳差だと思っていたんです(笑)。でもティアモに入るにあたって、何かの資料を見ていた時にズミさんのプロフィールを改めて見たら5歳差だと気がついた。

小川 その程度の威厳しかないってことだな(笑)。でも後輩の中でもヨンチョルは特に近かったかもね。だって、僕が新潟時代に誰かの家にお邪魔したの、ヨンチョル家だけだよ。もともと人の家でご飯を食べるのって気を遣うから滅多にしないタイプだったし、ましてや年齢が上になるほど、後輩とは外食はしても家に誘われることはなくなっていくしさ。そう言う意味では、ヨンチョル家にお邪魔したのはめちゃめちゃレアケース。奥さんの作ってくれた韓国料理がめちゃめちゃ美味しかったよな〜。
ヨンチョル 光栄です(笑)。そんなズミさんも最近はとうとう料理を始めたそうですね。
小川 そうなんだよ! 新型コロナウィルス感染症の影響でリーグ戦が延期になり、緊急事態宣言が出されてからは練習もできなくなったからね。家にいる時間が増えたから、とうとう自分で餃子を作ってしまった(笑)。そのくらい、時間を持て余しているってことよ。ヨンチョルはどんな風に過ごしているの?
ヨンチョル 最近は外食をしなくなった分、僕も料理をするようになりました。この間も、初めて自分でキムチチゲを作ったんですけど、これがまたすごく美味しくて(笑)。インターネットで見たレシピ通りに作ったら本当に美味しくできて感動しました。あとは、これまで最後まで見終わる気がしなかった長い海外ドラマを見始めたり…そんなふうに、新しい趣味を作って楽しむしかないって思っています。

<PROFILE>
小川佳純(おがわ・よしずみ)
1984年8月25日生まれ。東京都出身。
市立船橋高校、明治大学を卒業後、07年に名古屋グランパスに加入。08年に同監督に就任したドラガン・ストイコビッチにより才能を評価され、レギュラーに定着。プロ2年目にしてベストイレブンとJリーグ新人王をダブル受賞し注目を集める。その翌年からは、名古屋のレジェンド、藤田俊哉やストイコビッチが背負った『10』を継承し、10年のリーグ優勝に貢献した。17年には10年間在籍した名古屋を離れ、サガン鳥栖に移籍。同年8月にはアルビレックス新潟に移籍し、J1通算300試合出場を達成した。20年1月に現役引退と同時にFC TIAMO枚方の監督就任を発表した。

<PROFILE>
チョ・ヨンチョル(ちょ・よんちょる)
1989年5月31日生まれ。大韓民国出身。
韓国の蔚山鶴城高校を卒業後、07年6月に横浜FCに加入。09年からはアルビレックス新潟で3年、12年からは大宮アルディージャで2年半プレーしたのち14年7月にカタールSCに移籍した。その後、15年7月からは母国に戻り、蔚山現代FCや尚州尚武FC、慶南FCでプレーしたのち19年に再来日。かつて在籍した新潟で1シーズン、プレーしたのち、今年からは初めてのアマチュアリーグ、関西リーグに所属するFC TIAMO 枚方に加入した。U-17韓国代表を皮切りに、若い時から各世代の韓国代表でも活躍し、08年にはU-23韓国代表として北京五輪にも出場。10年には初めてA代表にも選出されている。

text & photo by Misa Takamura

チキンとシーフードのパエリア/村田英理子