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Vol.37 バディFCフィオーレ GK・PixoAleiro大阪支社/大城亜里菜

  • 2023.04.05

    Vol.37 バディFCフィオーレ GK・PixoAleiro大阪支社/大城亜里菜

PASSION 彼女たちのフィールド

南国・沖縄のスポーツ一家に生まれ育った大城氏がサッカーと出会ったのは高校生のとき。女子サッカー部の門を叩き、それ以来、GKというポジションでプレーしてきた。スポーツを心から愛するゆえに、日々、スポーツ関係の会社での仕事にも汗を流す。2023年3月までフットサル選手とスポーツブランド営業担当の二束の草鞋を履き、人生を謳歌した。

―現在は奈良県で活動するフットサルチームのバディFCフィオーレでプレーされているのですね。

大城 そうなんです。でも、この3月末で現役を引退する予定なんですよ(笑)。

―3月末ですと、もうすぐじゃないですか!(※3月9日取材)お疲れ様でした。

大城 大城 ありがとうございます。先日、全国大会が終わったので、私はここで引退となります(笑)。

―今年3月で現役引退とのことですが、まずは現在の活動内容を教えていただけますか?

大城 私自身は株式会社フラスコ100㏄という会社に勤めています。この会社の自社ブランドである「PixoAleiro」において、サッカーやバスケットボール、バレーボール、野球など、スポーツのユニフォームやウェア類を制作しています。自社で工場を持っていて、オーダーされたユニフォームなどを制作して販売するのですが、私は営業担当なので、クラブチームや学校を回ったりして、オーダーを受けている形になります。

―なるほど。だいたいの1日のスケジュールはどのような流れですか?

大城 勤務時間は9時半からなので、朝出社して、まずメールの確認をして、そのあと外出できるときはクラブチームや学校への営業回りに出かけます。弊社が特殊なのは、営業担当はお客様を回るだけでなく、例えばデザインを考案したり、サイズの打ち合わせをしたり、事務作業も併せて行っているところです。デザイン専門のスタッフもいるのですが、私自身も簡易的にデザインを考えたりはしています。あまり大きな会社ではないので、一人ひとりが日々、いろいろな業務を行っています。

―現在の仕事におけるやりがいをどこに見いだしていますか?

大城 1チームから依頼を受けることも結構大変なことなので、まずは制作依頼を受けるとすごくうれしくなります。また、ユニフォームを制作する過程でお客様とデザインの打ち合わせなどを行って、納品したあと、選手がそのユニフォームを着ている写真を送ってきてくださって見たりすると、やはりうれしくなります。

―今までで最もうれしかった案件はどんなことでしたか?

大城 全部の案件がうれしいんですけれど、例えば私のほうからクラブチームや学校にアプローチして、制作を依頼していただいたときはよりうれしいです。ユニフォーム一式を弊社に依頼してくだされば、そのぶん金額も高くなり、私自身、より責任感を持ってやらなければいけないと気が引き締まりますので。大変ですけれど、実際にユニフォーム一式ができあがったときはすごくうれしいです。

―いろいろなクラブチームや学校を回ることで、多くの出会いもあるのではないでしょうか?

大城 そうですね。でも、弊社のブランドはまだまだ知っている人のほうが少ないくらいなので、難しいところも結構あります。ただ、私たちも1日1日、徐々にお客様の幅を広げていっていまして、今ではフットサルのヴォスクオーレ仙台のサプライヤーになったりもしています。少しずつでも、確実にお客様の幅が広がっていることは、弊社にとっても私自身にとってもすごくありがたいことです。

―サッカーやフットサル以外の競技については、いかがですか?

大城 メジャーな競技でいうと野球もありますが、弊社はバスケットボールが結構強いです。Bリーグの6チームのサプライヤーになっていまして、私はB2の愛媛オレンジバイキングスを担当しています。バスケットボールに比べると、サッカーはまだまだお客様が少ない競技ですね。

―そういったプロチームのユニフォーム一式の制作を請け負うことについてはいかがですか?

大城 プロチームにはユニフォームに関する厳しい規定があるので、ユニフォームの大きさのことや、スポンサーの見せ方についてはチームの担当者と細かく調整し、私たちも気を使いながら制作しています。また、プロチームで一番大変なのは納期だと思います。やはり「絶対にこの試合までに間に合わせないといけない」ということが多々あるので、それまでに納品できるように調整していくことが大変なところでもあります。そのときは、弊社の製品担当者とも綿密に話をしたりしています。

―大城さん自身のサッカーとの出会いについてもお聞かせください。

大城 私は小学生から中学3年生のときまでバスケットボールをやっていました。その後、高校生のときに女子サッカー部に入りました。

―出身高校はどちらですか?

大城 男子サッカー部が強い、沖縄県の那覇西高校です。

―中学までバスケットボールをやっていて、そのまま高校でもバスケットボール部に入ろうとは思わなかったのでしょうか?

大城 実はバスケットボール部に入る気満々で入学したのですが、高校入学前の春休みに練習に顔を出さなかったら、なんか入部しづらい雰囲気になってしまって(苦笑)。それで「どうしようかなあ……」と思って友達と女子サッカー部を見学に行ったら、今度は逆に入部しなければいけないような雰囲気になりました。だから、最初は嫌々、サッカーをやっていたんです(笑)。

―では、高校1年生からサッカーを始めたのですね。

大城 そうです。ポジションはそのときからGKをやっていました。

―なぜGKを?

大城 バスケットボールをずっとやっていたので、手でボールを扱うことに慣れているというのが一番の理由でしたかね。

―那覇西高校の女子サッカー部はいかがでしたか?

大城 一応、強豪校だったので、めちゃくちゃ厳しかったですね。上下関係もそうですし。もう「3年生のことは神だと思え」って言われて育ったので(苦笑)。練習もめちゃくちゃきつくて、なぜかGKだけやたら走らされたりもしていました。

―そんななか、女子サッカー部ではどのような成績を収めたのですか?

大城 3年生のとき、沖縄県の高校総体で優勝しました。ただ、当時はまだ全国のインターハイに女子サッカー競技がなかったので、高校女子選手権の九州予選に沖縄県代表として出場し、2回戦で負けてしまいました。

―その後は奈良大学へ進学されたそうですね。

大城 よくご存知で(笑)。国語の先生になりたくて、奈良大学に進みました。大学ではサッカーを続けることを優先するのではなく、教員免許を取るために奈良大学への進学を決めた形です。

―大学でフットサルと出会ったのですか?

大城 そうです。大学1年生から始めました。最初は男子サッカー部に混じって練習していたんですけれど、そこで女子のフットサルチームを紹介してもらって、そこから社会人のクラブチームにずっと在籍していました。

―大学時代から、現在のバディFCフィオーレに在籍していたのですか?

大城 いえ、違います。当時はMFP(ミズノフットサルプラザ)奈良で活動していたチームがありまして、そこに在籍していました。もうなくなってしまったチームなのですが。そこが解散して、社会人になってからバディFCフィオーレでプレーするようになりました。

―大学卒業後はどのような道に進むことを志して就職活動を行っていたのですか?

大城 実は大学時代から大手スポーツ店でアルバイトをしていたので、卒業後もその仕事を続けました。結構、楽しい仕事でもありましたので。

―スポーツ店で働く傍ら、現在のバディFCフィオーレに加入するのですね。

大城 そうです。バディFCが女子チームを立ち上げたときのメンバーになりました。

―バディFCフィオーレに入るきっかけは、どのようなことでしたか?

大城 そのバディFCの代表者がもともと奈良県の女子選抜チームの監督をしていたので、大学生の頃から知り合いだったんです。それに、奈良県でフットサルのGKをやってる人は、ほぼ私ぐらいしかいなかったので、お声掛けいただきました。バディFCフィオーレは県リーグからスタートしました。

―日々、どのように活動されていたのでしょうか?

大城 火曜日の夜に練習をして、土日のどちらかに試合をこなすようなスケジュールでした。

―現在、バディFCフィオーレはどのリーグに所属しているのですか?

大城 関西フットサルリーグです。

―チームメートはどのような方々ですか?

大城 高校生や大学生など、学生もいますが、チームメートのほとんどは社会人です。いつも仕事終わりに練習をしていますね。

―当初はスポーツ店とバディFCフィオーレの二足の草鞋を履いていたと思いますが、それから現在の会社に入る経緯を教えてください。

大城 それから2年ぐらいが経って、ちょうどスポーツ店のユニフォーム担当になったんです。それでユニフォーム制作の楽しさを覚え、ユニフォームを作る会社で働きたいと思うようになり、転職サイトで大阪にある今の会社を見つけて就職することになりました。入社してから1年間は東京で研修があったので、バディFCフィオーレの活動も休部していたのですが、それが終わってからは奈良に住んで、大阪の心斎橋にある会社に通っています。土日は奈良でフットサルの活動をしていますので。今は大阪に引っ越しました。

―もともとは国語の教員を目指していましたが、それでもスポーツ業界に惹かれたのですね。

大城 親が体育の教員だったこともあり、幼い頃からスポーツに触れてきたので、結局はスポーツが好きだということですね(笑)。国語の教員もよかったのですが、それよりも、やはり「スポーツがいいな」って思うようになりました。

―幼少期にスポーツを好きになったきっかけはあったのですか?

大城 うちは剣道一家でした。お父さんも、お兄ちゃんたちも剣道をやっていて、私も幼稚園児のときから小学3年生までは剣道をやっていました。なので、スポーツを好きになったのは剣道がきっかけなんです。でも、小学生になったら「バスケットボールの方がカッコいいな」って思うようになり、バスケットボールを始めてからはバスケットボールにハマりましたね。小さいときからずっとスポーツに触れてきましたから、やはりスポーツは人生において切り離せないものです。

―では、現在の仕事も楽しいのでは?

大城 もちろん、そうですね。ユニフォームのデザインを作るのも好きなので。お客様からの「こういうユニフォームを作りたい」っていう要望を具現化できたりすると、「この仕事、楽しいな」って思います。

―フットサルのほうは今年3月で引退するそうですが、いつ決意されたのですか?

大城 1年前から決意を固めていました。結構、体もしんどい部分があったので。今年は関西リーグで優勝して、関西代表として全日本選手権にも出場できたし、いい終わり方になりますね。あと、結婚もしましたので(笑)。

―おめでとうございます!

大城 ありがとうございます! それが一番の理由かもしれませんが、引き時としては一番いいタイミングだと思います。

―現役時代を振り返り、最も印象に残ることはなんですか?

大城 やはり奈良県リーグから関西リーグに昇格したときのことが一番印象的ですかね。それまでに2度、昇格のチャンスを逃し、3度目の正直で上がれたんです。そのときは「報われた」って思いました。なかなか入れ替え戦に勝つことができていなかったのですが、やっとの思いで昇格できたときがチームにとっても一番の節目だったように思います。

―2度入れ替え戦で負け、3度目で昇格できたときの心情を振り返っていただけますか?

大城 フットサルという競技も好きですが、それ以上に「一緒にプレーしたい」って思える仲間がいたから頑張れました。GKのポジションでも、もう一人の選手とずっと支え合ってやってきたので、その選手の存在も大きいです。

―GKという一つのポジションを争うライバルでもあると思いますが、いい関係性を築いていたのですね。

大城 めちゃくちゃ仲がいいですね(笑)。休みの日はいつも一緒に遊びに行っていますし。ケンカすることも、いがみ合うことも全くありません。その選手が頑張っていることも私が一番わかっていますので。

―それぞれGKのプレーの話もしますか?

大城 いつもアドバイスし合っています。お互いに得意なところと苦手なところが真逆なので、2人で補い合いながらやっています。もう7年間ぐらい、ずっと2人で支え合ってきました。

―今後はどのような人生を展望していますか?

大城 私自身は引退という形になりますが、やはりフットサルが好きなので、ボールを蹴ることは絶対にやめたくない。だから、ボールを蹴ることも楽しんでいきたいです。また、仕事面では、弊社のブランドであるPixoAleiroをもっと広めていきたいです。それが今後の目標ですね。

―最後に、個人的にチャレンジしたいことは?

大城 サッカーではないんですけれど、今、そのもう一人のGKと「引退してからキックボクシングをしようか」って話しています(笑)。引退は人生における一つの節目ですが、これからも体を動かしながら人生を楽しんでいきます!

<プロフィール>
大城亜里菜(おおしろ・えりな)

1991年沖縄県出身。幼少期に剣道をはじめ、小学生・中学生ではバスケットボールに励む。沖縄県立那覇西高校へ進学すると女子サッカー部に入部した。そこでGKのポジションを務め、それ以来GK一筋でプレーする。高校卒業後は教員免許取得を目指して奈良大学に進み、フットサルの道へ。社会人リーグで活動し、2023年3月までは関西リーグのバディFCフィオーレに在籍した。フットサルをプレーする傍ら、スポーツユニフォームなどを制作する株式会社フラスコ100㏄に勤務し、ブランド「PixoAleiro」の営業も担う。

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