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Vol.29 Lucero京都 監督/樋口健策

  • 2020.11.19

    Vol.29 Lucero京都 監督/樋口健策

指導者リレーコラム

FCバルセロナが大好きだった青年が指導者としての道を志して単身スペイン・バルセロナに渡り、さまざまな経験を積む中で人間としての幅を広げ、そして指導の基礎をしっかりと学んで帰国。指導が難しいだろうと考えていたジュニアユース年代の指導の重要性に気づき、あえてその年代のチームを立ち上げて指導を始めた。子どもたちを星と捉え、その輝きをサポートする仕事に邁進する日々と、そこにつながる過去と、そこでの経験について語ってもらった。

ー京都サンガF.C. U-15コーチの川勝博康さんからご紹介いただいての登場となります。川勝さんとの出会いは?

樋口 川勝さんと初めて出会ったのが、僕が25歳でバルセロナに住んでいた時、今から8、9年前のことですね。川勝さんがサンガのジュニアユース・チームの監督をされている時で、そのころの僕は不定期ですがアテンドのアルバイトをしていました。何のアテンドかというと、夏休み、冬休みに日本のチームがスペインに遠征で来た時のアテンドです。サンガのユースチームのアテンド役として知り合ってから、僕が27歳になったころに、そろそろ日本に帰ろうかなと考えていた時に、今度はサンガのユースチームの監督を務めていらっしゃった川勝さんから「いつ帰ってくるんや?」と、ご連絡をいただいて、「外部コーチとして来てくれないか?」とお誘いいただいて、サンガのユースチームにかかわらせていただきました。その時のユースチームには、いまオーストリアのザルツブルクで活躍している奥川雅也選手がいました。サンガのユースチームで2年ほどお世話になった後の2015年に、今自分が指導しているLucero(ルセーロ)京都というジュニアユース・チームを立ち上げたのです。
 
ー川勝さんと出会ったスペインに渡ったのはサッカーの指導を学ぶためですか?

樋口 そうです。大学卒業後すぐにスペインに渡って、最初の1年は語学学校でスペイン語を学びました。2年目からバルセロナ市にある街クラブにかかわって、そこでスクール、小学生、ユースチーム、トップチームまでを指導するようになりました。そういう流れになった最初のきっかけは、さきほども話したサンガの遠征でした。僕がサンガをアテンドした時の対戦相手のチームの関係者に「実は指導の勉強をしたいんだ」という意志を伝えたんです。そうしたら、スペインの4部にあたるリーグに参戦していたトップチームの分析担当という仕事をいただいたんです。

ー4部リーグというと、相手の試合映像を入手するのも大変なのでは?

樋口 そうです。次の対戦相手の試合を僕が見に行って撮影して、そこから分析して、チームの監督に分析結果を伝える、という流れですね。

ー分析については大学で学んでいたのでしょうか?

樋口 いいえ。大学ではマネージメントを学びました。コーチング学科もあったのですが、指導者になった時にチームマネージメントも必要になると考えて、そちらを専攻したのです。スペイン人は僕のような日本人に対しては、『日本→機械に強い→分析に優れている』というイメージを持っているみたいで(笑)。でも、指導を学ぶ上で分析能力は重要になりますから、喜んで引き受けました。

ー分析担当は何年間務めたのですか? そこで得たものは?

樋口 2年間です。3年目からはユースチームのコーチを務めることになりました。分析担当として監督と話をする中で「監督というのはこういう目線でサッカーを見ているんだな」とか、“目を養う”ことができました。そのころに一番感じたこと、教えてもらったことは「ボールがないところも見ないとダメ」ということですね。選手はボールを追うんだけれども、指導者はボールがないところ、ボールサイドとは逆のエリアにも目を配ることが必要だ、と。その通りにやってみると、徐々にいろいろなことが見えてくるようになりました。そうやって分析担当を務めたことは、そのころに指導者ライセンスを取得するためにコーチング学校にも行っていた僕にとっては、とても良い勉強になりました。

ー分析担当をしていた時には給料はもらっていたんですか?

樋口 4部リーグのチームといってもちゃんとしたプロクラブなので、サラリーはいただいていました。

ー先ほどおっしゃっていたライセンスは取得できましたか?

樋口 はい。日本でいうA級ライセンスに相当する『レベル2(※レベル1~3まである)』を取得しました。まずスペインに渡ってから半年して入学を申し込んだのですが、「キミの語学力では絶対に無理だから1年後に申し込んだら?」と、受け付けてもらえなかった。でも、1年も我慢できなかったので半年後に行ったら「まだ厳しいとは思うけど、そこまで言うなら」と許可してもらいました。スペインを含めてヨーロッパの方々はほかの国の人間の行き来が普通ですから、基本的にはオープン・マインドで、こちらの情熱を一生懸命に伝えたら、何とか受け入れようとしてくれるんですよね。

ーそもそもスペインで指導を学ぼうと思った理由は?

樋口 純粋に小さい時からスペイン・サッカーが好きだったから、特にFCバルセロナですね。だからスペインに渡る時も場所はバルセロナで、と決めていました。バルセロナに行く別の理由として、大学の時に教えていただいた先生で、92年のバルセロナ・オリンピックの時に朝日新聞の仕事でバルセロナ在住していた方がいて、当時の僕は教員となってサッカーの指導をしたいと考えていたのですが、その先生に指導の道を目指すなら本場の指導法を学んだ方がいいのではないかとのアドバイスも受けたんです。

ーいま振り返って、バルセロナに行って良かったと思いますか?

樋口 めちゃくちゃ良かったと思います。まず精神性のところで、先ほども話しましたが向こうの方々と密に触れ合うことでオープン・マインドになれたことですね。サッカーに関して言うと、常に進化し続けるスポーツでもあるので、自分も常に進化していかないと良い指導者になれないということを実感しましたし、指導者として選手とどうかかわっていくのかも学べましたし、そこは特に今に役立っていると思います。

ー前回の川勝さんもスペインに行ってサッカーの捉え方の違いを感じたとおっしゃっていました。樋口さんもそれは感じたことでしょうか?

樋口 全然違いました。川勝さんがどうおっしゃっていたかは分かりませんが、日本人はどちらかというと、基礎からコツコツと積み上げていく、という考え方で指導もするし、トレーニングもしますよね。個人でできたら、次はグループで、グループがしっかりしてきたらチームのことに進む、というふうに。しかし、ヨーロッパは全体像をまず捉えておいて、その形をつくるために何が必要かを考えて、それを細部にわたって落とし込んでいく、そういう思考スタイルなんです。

ーなぜ向こうの方たちはサッカーを全体像から捉えることができるのか、いつも不思議に思うんですよね。

樋口 答えになっているかどうかわ分かりませんが、向こうに住んで一つ感じたことがあります。ちょっと前の日本では夜になれば、どこかのテレビ・チャンネルで必ずプロ野球中継をしていましたよね? スペインではその感覚でサッカーの試合が常にテレビから流れていたんです。サッカーを本格的にやっていない小さい子どものころからその映像を、本気ではないにせよ、常に目にすることで、サッカーの全体像というものが頭の中にボンヤリとしながらでも入ってくるんだろうと思うんです。これについては逆側からの例を挙げると分かりやすいんです。スペインの子どもに「野球ボールを投げてみて」と言うと、下からとか横からとか、とても不器用に投げ返してくる。「バットを振ってみて」と言うと、まず握り方が分からず戸惑う。これが日本ならどうでしょうか。野球を習っていない子どもでもほとんどがちゃんとしたオーバースローで投げ返せるし、バットも普通に握ってちゃんとした構えができるでしょ?  それと同じで、スペインの子どもなら別にサッカーチームに所属していなくても、ボールの蹴り方は分かっているし、パスをつなぐためにどんなポジショニングが必要か、というところまで、ボンヤリとはしていても、何となく分かっているんです。全体像をつかむ、っていうのは、そういうボンヤリとしてはいるかもしれないけど、日常生活も含めた中で頭の中にいろいろな映像とイメージが蓄積されていて、そこから生まれる認識力のように思えます。

ースペインのサッカーが好きでスペインで指導を学んだ樋口さんが日本に帰って指導するようになってから時間が経っていますが、それでもスペイン・サッカーが「正解」だと思っていますか?

樋口 今でもスペインのサッカーは魅力的だと思います。今年は新型コロナウイルスの影響で別の環境になっていますが、毎週多くの人がスタジアムに足を運んで、熱狂するのは、勝っても負けても見る人に感動を与えているからだと僕は思っています。だから、そういうサッカーの魅力や面白さを日本の子どもにも伝えていきたいと考えるんです。

ー面白さを伝えるのと試合で結果を出すのは別物でしょうか?

樋口 「サッカーが好きだ」という気持ちはやはり大切で、それがあるからプレーすることに喜びを感じるし、喜びを感じるからそこに学びがあるし、そういう姿勢の中で手にした成功体験が『結果』につながると思っています。そこには、面白いから努力をする。努力すれば成功して結果が出る。結果が出るとまた面白く感じる。そういうサイクルが生まれると思うのです。今年の8月、ウチのLucero京都は高円宮杯U-15の京都1部リーグで無敗による優勝をすることができました。これはウチの若い指導者たちの頑張りがあっての結果ではあるのですが、一方で、いまお話したような循環を意識した指導の成果の一つでもあるとも思っています。

ーそもそも日本に帰ってきてジュニアユースのチームを立ち上げようと考えたのは、なぜでしょうか?

樋口 実は一番難しいカテゴリーだと思っていたんです。思春期ですし、サッカー以外のところにも目が行きやすい年代でしょ? だからその年代の子どもたちの指導はとても難しいだろうな、と。でも逆に言うと、人間形成の面でも、またサッカーの上達でも非常に大事な時期である、とも言えるわけで、そういう見方をすると、非常にやり甲斐のある指導年代だなと思えたんです。それは今も変わらない思いです。

ーサッカーの指導ではなく、人間形成をも引き受けると?

樋口 保護者の方にも「お父さんやお母さんだから見えないものが僕らに見えることもあるので、家庭や学校での出来事も教えてください」と話しています。サッカーを指導しながら、人間形成のサポートをしているという感覚で子どもたちとは向き合っています。

ー難しいだろうな、と思っていたジュニアユースの指導。実際にやってみて、やはり難しかったのでしょうか?

樋口 めちゃくちゃ大変です。指導を始めたころはもちろん、今も大変です。毎年新しい子どもたちが入ってきてくれて、その子どもたちは誰一人として同じじゃないので、新しい考えで向き合う必要がありますから。

ーサッカー以外の悩みに街のクラブの指導者が寄り添ってサポートしていくことは必要なのでしょうか?

樋口 僕はサッカーにおいてメンタルはとても大事な要素だと思っています。例えば今はSNS上の人間関係のトラブルも増えていて、そういうことってプレーに大きく影響するので、僕はそういったことについても話を聞いています。

ー「話を聞く」ことが大事なのでしょうか?

樋口 スペインで学んだことでもあるのですが、向こうの指導者は、サッカーはもちろん、友達や家庭の話でも、まず子どもや選手の話を聞きますね。それは子どもたちのメンタルの整備という意味合いも持ちながら、それとは別の意味もあるのです。子どもたちの話を十分に聞いた後で、指導者は「それでキミはどう思う?」って返すんです。そうすると、子どもたちはそこからまたバンバン話すんです。指導者が、あるいは大人が子どもたちの話を聞いてあげるから、子どもたちは自分の意見や考えを持つんです。向こうの学校教員も授業では「どう思う?」という発問が多いそうです。だから生徒も手をバンバン挙げて自分の意見を口に出す。日本の教育現場では、おそらく、教師は「コレはこうだ」と教える側に立つことが多いので、子どもたちがだんだん自分の意見を口にすることが少なくなり、やがて考えなくなる、という循環が生まれているのではないか、と僕は思っています。

ーサッカーで重要だと言われる判断力がそこにつながってきそうです。

樋口 サッカーをプレーしている時の最大の楽しみや喜びは、自分で判断、決断して表現したプレーが成功した時、だと思うんです。指導者は、その判断材料となるさまざまな要素をアドバイスとして選手に伝えますが、選手が受け取ったアドバイスをそのままやって成功した時と、アドバイスを自分なりに咀嚼して納得した上で成功した時の面白さや喜びって、大きな差があると思います。僕はそこの違いを理解して指導にあたりたいですね。

ー細かい部分で子どもたちと接するには時間も労力も必要になりそうですが、現在、チームには何名の選手が所属しているのですか?

樋口 3学年、各学年で最大23名です。その23名をコーチ二人ずつで指導しています。23名に制限しているのは二人のコーチの目がしっかり行き届く人数がそこまでであるだろう、ということと、子どもたちには努力すれば試合に出られる、というモチベーションの中で頑張ってほしいからです。最近は、その人数を越える多くの入部希望をいただくのですが、「ウチのチーム以外でも試合に出るチームでプレーした方が絶対にお子さんのためになります」と保護者の方に説明して理解していただくようにしています。

ーチーム名の「Lucero(ルセーロ)」とクラブ・スローガン「BRILLAMOS COMO LAS ESTRELLAS(ブリジャモス コモ ラス エストレージャス)」の意味を教えてください。

樋口 「Lucero」は、「輝く星」と言う意味のスペイン語で、これはアンダルシア地方などで使われる言葉です。「BRILLAMOS COMO LAS ESTRELLAS」は「星々のように輝く」という意味です。「星」とは僕ら指導者にとっては子どもたちであり、その「子ども=星」を輝かせるのが指導者の仕事だと思っているので、そういうチーム名とスローガンにしました。もちろん、輝くのは子どもたちだけではなく、僕ら指導者も子どもたちから刺激を受けながら、常に輝いていなければいけない、という自戒も込めています。やっぱり、輝いている人って、魅力ですからね。

ー樋口さんの「指導者としての夢」って何でしょうか?

樋口 先ほども名前を挙げましたが、奥川雅也選手のように世界の舞台で活躍できるような選手を輩出すること。それと、僕がスペインにいた時に実感した、サッカー文化を日本でも根付かせることですね。スペインでは毎週末におじいさん、その子ども、そして孫の三世代がまるで公園に行くような気軽な感じで仲良くスタジアムに足を運ぶんです。そこに特別感はなく、あくまでそれが当たり前の風景。日本でもそういう光景が見られるといいな、と。街クラブの指導者ですが、ここでの取り組みをそういうところにつなげていきたいな、と思っています。

ーでは、次の指導者の方をご紹介ください。

樋口 びわこ成蹊スポーツ大学での一つ上の先輩で、宮沢悠生(みやざわ・ゆうき)さんを紹介します。現在、オーストリアに在住、ザルツブルクのジュニアユースのコーチを務めておられます。長澤和輝選手(現・浦和レッズ所属)と大迫勇也選手(現・ベルダー・ブレーメン所属)がドイツの1.FCケルンに所属していた時の通訳、それからザルツブルクで南野拓実選手(現・リバプール所属)と奥川雅也選手の通訳を経験されていた方です。

<プロフィール>
樋口 健策(ひぐち・けんさく)
1986年9月3日生まれ。
京都市出身。京都の名門、山城高サッカー部でプレー、3年時に主将を務める。卒業後、びわこ成蹊スポーツ大学に進学、同サッカー部に入部。ポジションはMF。同期に舩津徹也選手(ザスパクサツ群馬所属)がいた。大学卒業後、指導者を目指してスペインに渡り、『レベル2』の指導者ライセンスを取得。帰国後、京都サンガF.C.のユースチームの外部コーチを務めた後、2015年にジュニアユース・チームの「Lucero京都」を立ち上げた。

text by Toru Shimada

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